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“桑都物語”について


About “SOTO monogatari”

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桑都物語についてタイトル

東京の西、八王子市。ここは、その昔に養蚕や織物が盛んだったことから桑の都、「桑都(そうと)」と称されていました。
甲州道中最大の宿場町となり、さまざまな文化を育みながら発展してきたまちの礎は、戦国時代末期に関東の覇権を握った北条氏の名将・北条氏照が、城下町を築いたことに遡ります。 桑都の発展を支えた養蚕農家や絹商人は、氏照が武運を祈願し、いにしえより人々が霊山として崇めてきた高尾山を信仰し、大切に護ってきました。
高尾山では、今も人々の祈りとともに、江戸時代に花開いた桑都の伝統文化が連綿と受け継がれています。

桑都物語は、北条氏によって興ったまちの営みと、現代にも続く霊山・高尾山への人々の祈りが、この地に育まれた豊かな文化を未来へと紡いでいく物語です。

日本遺産「桑都物語」推進協議会
日本遺産認定ストーリー
霊気満山高尾山 人々の祈りが紡ぐ桑都物語
日本遺産ポータルサイト ストーリー別タブ表記
装飾・左

関東屈指の山城・八王子城

装飾・右

氏照は、武田信玄や豊臣秀吉らの進軍に備え、なだらかな丘陵地に築かれた滝山城から、急峻な地形に石垣を備えた関東屈指の山城・八王子城に居城を移しました。新たな城を築いた地は、八王子の名の由来となったといわれる八王子権現(はちおうじごんげん)を祀る聖地で、 向かい合う高尾山を天然の要害とみたて、甲州から八王子への進入路となる峠道を押さえることができる軍事的要衝でした。氏照が峠道を厳しく監視するために置いた「富士関」が、江戸時代に甲州道中で最も堅固な関所だといわれた「小仏関(こぼとけのせき)」として引き継がれたことからも、 この地がいかに重要な場所であったかということがわかります。

八王子城跡

高尾山には、奈良時代に開山し、名だたる戦国武将から戦の神として信仰された飯縄大権現(いづなだいごんげん)を本尊とする薬王院(やくおういん)があります。氏照は武運を祈り、領地の寄進や、竹木伐採を禁じる制札の発給などによって、高尾山を篤く庇護しました。 江戸時代に書かれた『桑都日記(そうとにっき)』には、氏照が八王子城下の景勝地を選び、その情景を詠んだとされる「八王子八景」が記されています。八景のひとつ、 「八王子城の秋月」には、城山から見た秋の月が、領地一帯を照らす様子が詠まれています。軍事と信仰の両面で重要な場所であったこの地に城を築き、領地を豊かに治めようとする自分の姿を、輝く月に重ねたのかもしれません。

飯縄大権現像
装飾・左

“桑都”八王子

装飾・右

氏照は、軍事防衛拠点としての山城づくりを進める一方、城下町の整備にも力を入れました。「八王子織物」の起源といわれる、織物の取引が行われた滝山城下の市(いち)は、八王子城下にも引き継がれました。八王子城落城をひとつのきっかけとして、日本の歴史は大きく動き、戦乱の時代は終焉を迎えましたが、江戸幕府が江戸西方の防衛や交通の要衝として整備した八王子宿にも、氏照が築いた城下町や市が移され、まちの礎が引き継がれました。 八王子宿は、絹産業を基盤に甲州道中最大の宿場町へと発展しました。大量の生糸が周辺の産地から八王子宿に集められ、幕末から明治期にかけて、輸出のために「絹(きぬ)の道(みち)」を通って横浜へ出荷されました。

絹の道

絹産業の発展は「多摩織(たまおり)」という伝統工芸品を生み出しました。また、機織(はたお)りとともに培われてきたものづくりの技術や職人たちの思いは、現代にも脈々と受け継がれ、絹産業のみならず様々な産業に新たな息吹をもたらしています。 「八王子八景」のひとつ、「桑都の晴嵐(せいらん)」には、桑畑が広がり養蚕が盛んに行われ、市が賑わっている様子が詠まれています。“桑都”として広く知られ、織物のまちとして発展した八王子の姿は、氏照が取り組んだまちづくりの萌芽が実を結んだものといえます。

多摩織
装飾・左

桑都の人々と高尾山

装飾・右

江戸時代、絹産業は髙尾山薬王院への信仰と深く結びついていきました。養蚕農家は、大切な蚕を鼠から守るために「蚕守」の護符を薬王院に求めました。八王子宿を中心に生糸や織物を扱った絹商人は、周辺の養蚕農家や機屋、江戸の問屋に薬王院の護摩札の配札を取次ぎ、高尾山の信仰圏を拡大させる一翼を担いました。

養蚕守護札

人々は薬王院にご利益を求め、諸願成就の返礼として杉の苗木を奉納してきました。山内に建てられた数多くの石碑や、参道に並ぶ奉納板には、高尾山信仰の大きな特色であるこの「杉苗奉納」が、群馬や埼玉など絹産業と関係の深い人々によって行われ続けていることが記されています。山内を歩くと、絹産業の発展により広まった高尾山への信仰が今も連綿と受け継がれ、信仰とともに高尾山の自然が守られていることを実感することができます。 「八王子八景」のひとつ、「高尾の翠靄(すいあい)」には、山内に立ち込める靄(もや)が「翠靄(みどり色のもや)」と表現され、自然の豊かさと美しさ、そして厳かな霊山の空気感が詠まれています。氏照が愛でた、霊気に満ち緑豊かな「翠靄の景」は、昔も今も変わらぬ高尾山の大きな魅力です。

高尾山のスギ
装飾・左

未来へと続く『桑都物語』

装飾・右

氏照は横笛の名手で、領地で五穀豊穣を祈り舞われる獅子舞を好み、家臣とともに月夜の宴を催したと伝えられています。氏照が居城とした八王子城の跡からは、落城から400年の歳月を経て、池のある庭園の遺構が築城当時の姿を現しました。ベネチア産レースガラス器をはじめとする数多くの舶来の品や茶器なども出土し、戦国武将の文化的、芸術的な素養を感じることができます。 桑都の発展は、豊かな文化を育みました。江戸時代の宿場町で、粋な町人は絢爛豪華な山車づくりを競い合い、まちを火事から守った鳶職(とびしょく)は、江戸の木遣唄(きやりうた)を継承しました。明治期以降、賑わう花街で八王子芸妓が絹商人をもてなし、農村の娯楽からまちの芸能へと発展した八王子車人形がもてはやされました。これらの伝統文化は、桑都とともに発展してきた今日の高尾山の年中行事で、欠かすことのできないものになっています。

八王子の獅子舞

高尾山の頂から関東平野を見渡すと、そこには北条氏の領地と、八王子を中心とした絹産業の経済圏、そして髙尾山薬王院の信仰圏が重なり合って見えます。薬王院の参道にある浄心門(じょうしんもん)には「霊気満山(れいきまんざん)」の扁額(へんがく)が掲げられ、法螺貝(ほらがい)の音が響き渡る山内の「大杉原(おおすぎはら)(杉並木)」からは『霊気=生命(いのち)の力』を感じることができます。 氏照が築いた戦国の山城・八王子城から始まり、魅力ある“桑都文化”を育んできた物語は、今日、世界中の人々を魅了している高尾山で、僧侶や山伏が霊気に満ちた山と結んだ人々の祈りによって、未来に向かって紡ぎ続けられていきます。

高尾山薬王院浄心門
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